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ルーシー (アウストラロピテクス) : ミニ英和和英辞書
ルーシー (アウストラロピテクス)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルーシー (アウストラロピテクス) : ウィキペディア日本語版
ルーシー (アウストラロピテクス)[ちょうおん]

ルーシー (Lucy) は、1974年11月24日エチオピア北東部ハダール村付近で発見された318万年前の化石人骨につけられた名前である〔コパン (2002) p.165、河合 (2010) p.41〕。アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の中で最初期に発見されたもののひとつであり、全身の約40%にあたる骨がまとまって見つかったという資料上の貴重さから、広く知られている。
モーリス・タイーブ (Maurice Taieb) を中心とする国際アファール調査隊 (the International Afar Research Expedition ; IARE) が発見し、当時流行していたビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」にちなんで命名した。
ルーシーをはじめとするアファール猿人の化石人骨群が発見されたアワッシュ川下流域は、1980年ユネスコ世界遺産リストに登録された。
エチオピアの現地語ではディンキネシュ(''dinqineš'' / ''Dinkinesh'', 「貴女は驚異的だ」の意)という名前も与えられており、切手にもなっている〔コパン (2010) p.167にその名が記された現地の切手が掲載されている。ただし、語源の説明はない。〕。
この猿人の発見は、類人猿に近い脳容量と人類に近い直立二足歩行を行なっていた痕跡を示す人骨という点で重要であるうえ、人類の進化において脳容量の増大よりも二足歩行が先行していたことを裏付ける証拠にもなっている〔Hadar. (2008). In ''Encyclopædia''.〕。ただし、他の研究の結果は、アファール猿人が現代人の直接的な先祖ではないことを示唆している〔。
== 発見 ==
フランスの地質学者モーリス・タイーブは、1972年にハダール累層 (the Hadar Formation) を発見したことを踏まえ、国際アファール調査隊を組織した。そこには、アメリカの人類学者で後にアリゾナ州立大学人類起源研究所 (Institute of Human Origins) の所長となったドナルド・ジョハンソン (Donald Johanson) 、イギリスの考古学者メアリ・リーキー (Mary Leakey)、フランスの古生物学者で後にコレージュ・ド・フランスに招聘されたイヴ・コパン (Yves Coppens) らが、共同責任者として招かれた。
調査隊は4人のアメリカ人と7人のフランス人を加え、人類の起源に関わる化石や加工品を求めて、1973年秋にハダール村付近を調査した。第一次調査期間が終わりに近づいた1973年11月に、ジョハンソンは脛上端の骨を発見した。続いて大腿骨下端が発見され、それらを接合して復元した膝関節は、明らかに直立歩行するヒトのものであることを示していた〔Johanson, Donald & Maitland Edey (1981), ''Lucy, the Beginnings of Humankind'', St Albans: Granada, ISBN 0-586-08437-1, pp. 159-161〕。AL 129-1という分類番号が与えられたこの人骨が発見されたのは、翌年にルーシーが発見されることになる場所から約2.5 km の場所だった〔Letter from Donald Johanson, August 8, 1989 Lucy's Knee Joint〕。
彼らは翌年に第二次調査期間に入り、ほどなく人類の顎の化石を発見した。そして、1974年11月24日を迎えた。ジョハンソンはこの日、調査記録の更新作業をするつもりだったのだが、教え子の一人で化石研究をしていたトム・グレイ (Tom Gray) とアワッシュ川近くの第162地点 (Locality 162) で発掘調査を行うために、予定を変更した〔(なお、この文献では発見日時が1974年11月30日とされている)。〕。そして彼らが焼けつくように暑くなっていく平原で2時間にわたって調査を行なったあと、ジョハンソンは遠回りになることをちょっと思い付き、すでにほかの調査員達が少なくとも2度は調査していた小さな谷川の底を見ようと、車を戻らせた。その底を一瞥した時には何も見付からなかったが、元の場所に戻ろうとした時にジョハンソンの視界は化石を捉えた。それはスロープにあった上腕骨の断片であり、その近くには後頭部の破片も見付かった。彼らは1 m ほど離れたところに大腿骨の一部も見つけ、さらに調査を重ねると、椎骨骨盤肋骨顎骨などの破片を次から次へと発見した。彼らはその場所に印をつけてキャンプに戻り、明らかに一体の猿人を構成する多くの骨の発見に沸いた〔アリゾナ州立大学人類起源研究所、Lucy's Story (英語、2011年7月10日閲覧)。〕。
午後に調査隊は全員で谷川に向かい、発掘現場の区割りをし、3週間に渡ることになる注意深い発掘調査の準備をした。最初の晩には彼らはその発見を祝して夜通し騒ぎ、AL 288-1 (整理番号。AL はAfar Location の略)という番号をつけたその新しい化石人骨を「ルーシー」と名付けることにした。その日の騒ぎの中で、ビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」がテープレコーダーから繰り返し流れていたからである。ただし、当夜の騒ぎの中で、具体的に誰が提案してそう命名されることになったのかなどは分からなくなっている〔。
それからの3週間で、重複の一切ない数百もの骨の破片が見付かり、それらが一体の人骨だったという当初の憶測を裏付けた。調査隊はさらに分析を進め、それが全体の40%にもなることが分かった。この数値については、手足の骨の一部を除いた算定であるとして、実際には20%台と見積もる見解もあるが、発見当時としては驚異的な数値だった〔河合 (2010) pp.39-41, 78〕。なお、1994年にはアファール盆地で身長120cmのラミダス猿人アルディ」が発見され、最古の猿人は440万年前にまで遡ることになったが、その発見の詳細は2009年まで公刊されることがなかった〔http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/2009/1001/1〕〔ルーシーよりも100万年前の先祖のラミドゥス猿人(アルディピテクス・ラミドゥス)のアルディ(女性)の全身骨格をエチオピアで2009年に発見 、サイエンス誌掲載2009年10月。〕。このアルディが発表された時点でも、10万年以上前のホモ属やアウストラロピテクス属の全身骨格は、トゥルカナ・ボーイセラムリトル・フット、ルーシー、アルディの5体しかなかった〔河合 (2010) pp.21-23〕。ルーシーはそれらの中で最も早く発見された全身骨格であった。
ジョハンソンは、完全に復元できた骨盤仙骨から骨盤の開き具合を判断し、これが女性の人骨であると考えた〔。ルーシーは身長 1.1 m、 体重29 kgで、一般的なチンパンジーに近いようにも見える。しかし、この小さな脳、骨盤、足の骨を持つ存在は、機能的には現代人と一致しており、確かに直立歩行していたことを示している。
ジョハンソンと、彼の同僚でカリフォルニア州出身の古人類学ティム・ホワイト (Tim White) は、発見された新たな人骨群、すなわちアウストラロピテクス・アファレンシスを、390万 - 300万年前に生きていたヒトとチンパンジーの最後の共通の祖先として位置づけた(より古いラミダス猿人の骨が発見されたのは、彼らの発見の20年後である)。チンパンジーの系統により近い人骨は、1970年代以降見つかってはいたが、人類の起源を研究する古人類学者たちにとっては、ルーシーは至宝の座にありつづけた。より古い人骨は断片で見つかるのが常であったため、二足歩行の段階や現生人類との関係についての確定的な結論を出すには至っていなかったからである。
ジョハンソンは、当時のエチオピア政府の合意を得て、クリーブランド (オハイオ州) に骨格標本を持ち帰ったが、9年ほど後に合意に従ってエチオピアに返却した。ルーシーは世間の耳目を集めた最初の化石人骨で、国際調査隊の一連の調査で発見された人骨の中では最も有名になった〔Lower Valley of the Awash - UNESCO World Heritage Centre (2011年7月10日閲覧)〕。アファール猿人の段階に位置づけられている彼女のオリジナルの骨格標本は、現在アディスアベバにあるエチオピア国立博物館に保管されていて、石膏の模型が本物の代わりに展示されている〔。オリジナルから型を採った複製は、アリゾナ州立大学人類起源研究所が所有しているほか〔、再現された姿でクリーブランド自然史博物館 (Cleveland Museum of Natural History) にも展示されている〔"Permanent Exhibits." www.cmnh.org. 3 January, 2007.〕。アファール猿人やその先行者それぞれの生活ぶりを再現し、科学者たちが推定している行動や能力を示してくれるジオラマは、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の人類生物学・進化ホール (Hall of Human Biology and Evolution) に展示されている。
ルーシーの発見以後も、1970年代を通じてアファール猿人の化石は発見されており、変異の範囲や性的二形 (sexual dimorphism) の問題について、より深く理解できるようになっている〔。当初アファール猿人については、ルーシーとは体格が異なる骨格を別の種と解釈する見解があったが、1992年に発見された男性の骨 (AL444-2) などによって、体格の違いは性別による違い、すなわち性的二形によるものと解釈されるようになった〔ジョハンソン (1996) p.164、河合 (2010) pp.50-52〕。また、こうした比較の結果、ルーシーはアファール猿人の中でも特に小柄な個体であったと認識されるようになっている〔河合 (2010) p.52〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルーシー (アウストラロピテクス)」の詳細全文を読む




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